2019年5月8日水曜日

レディーファーストに異議あり

レディーファーストに異議あり、「“女性”だから“男性”に守られ大切に扱われるべき」なんて考えたくない
レディーファーストに異議あり、「女性だから男性に守られ大切に扱われるべき」なんて考えたくないの画像1

 先日「BUSINESS INSIDER JAPAN」が<「日本人はなぜ席を譲らない?」とツイートしたら「レディーファーストって意味不明」と猛反発された>という記事を掲載し、SNSを中心に話題となった。ニューヨーク在住の渡邊裕子氏の執筆記事だ
ニューヨークに20年以上住む渡邊氏は、<最近、エジプト人とイギリス人の男性同僚2人と東京に出張した>として、東京滞在中に電車を利用した時の同僚2人の行動と、電車を利用する日本人の行動を比較。
 同僚2人は、電車で席が空けばまず「女性」を座らせようとしたし、<女性(年齢はさまざま)やお年寄り(男女問わず)、荷物を持った人>にも積極的に席を譲っていた。今回に限らず、これまで通算で150人以上、主に欧米人の男性同僚を出張で日本に連れて行った経験があるという渡邊氏によれば、彼らの大多数が<同じような状況で反射的に立ち上がり、自分より体力のなさそうな人たちに席を譲る>そうで、<幼い頃からのしつけと、長年の習慣の賜物>だろうと渡邊氏は分析する。
 一方で日本では、電車で椅子取りゲームのごとく席を取り、周りを見ていない人がとても多い、と感じるという。
 また、渡邊氏が住むニューヨークは東京よりインフラがくたびれているが、エスカレーターやエレベーターのない地下鉄の駅では、<ベビーカーを押した女性や体の不自由な人がいると、見ず知らずの人同士が「ヘイ、手伝おうか?」「ほら、あんたもちょっと手貸して」という感じで自然発生的にチームになって、助けてあげている光景にしばしば遭遇する(手伝ったあとは何事もなかったかのようにアッサリ別れていく)>そう。こういったエピソードは、ここ10年ほど、日本で“ベビーカー論争”が勃発する度にクローズアップされる印象だ。
 今年1月に渡邊氏はTwitterで 「今日ニューヨークの混んだ地下鉄で席を譲ってくれようとした若者がいて、その時思った。東京に2週間ちょっといた間、毎日電車に乗ったけど、一度も席を譲ってくれようとする男性(私にであれ、近くに立ってる人であれ)に会わなかったな。」 とツイート。反響は大きく、女性から共感の声も寄せられたが、一方で反論コメントもあったという。
 渡邊氏は、そういった反論の中に、<純粋に「レディーファースト」というコンセプトが理解できていない(あるいはそれを受け入れられない)と思われる人々からのコメント>が複数あり、<いずれも男性のようだった>ことに着目。<そもそも「レディーファーストの考えは消えた」のではなく、日本には最初から存在していないと思う>と考えるに至った。日本の男性たちが「レディーファースト」をできないのは、「知らないから」だとの分析だ。

「弱くて困っている人」に男女は関係ない

 昨年の世界経済フォーラムによる男女平等ランキングでも149カ国中110位、G7最下位更新の日本は、世界の中でも<男女不平等が激しい国>とされている。渡邊氏の見解では、日本にはレディーファーストの考えが最初から存在せず、日本で育つ男の子たちは大人の男性が女性をエスコートする姿を見ることもない。それゆえ、「男女平等なんだろう?だったら、男が女を守る必要なんてないだろう」「なんで男だからって女に席を譲らなくてはならないのか」という発想になるのではないか、ということだ。
 この記事に対する反響が非常に大きく、Yahoo!ニュースへの転載で9000件以上のヤフコメが付き、Twitterでも「レディーファースト」についての議論が白熱した。渡辺氏は今回の記事について3月11日、Twitterで<今回わかったことその1:「男女平等」ってことの意味を誤解している人々が少なからずいるということ。「男女平等なら、男が女に優しくしたり、労わる必要なんてないだろう」って言う人(多分男性)が結構いて驚く。男の方が肉体的に強い(女は男が守るべきもの)って自覚が、本当に正直にないらしい>と、投稿している。
 確かに現在の日本は男女平等とはいえないだろう。そして日本において「レディーファースト」の概念は薄く、「日本には最初から存在していない」と言って過言でないと思う。だからこそ、「レディーファースト」という言葉にこれだけ反発が巻き起こるのだろう。そして筆者自身、「受け入れられない」違和感を覚えている。
 そもそも「レディーファースト」とは何か。前掲記事には<「紳士たるもの、女性を守り、敬意をもって大切に扱わなくてはならない」という騎士道精神や、「女性をエスコートする際のマナー」の基本>とある。
 その価値観自体に違和感を覚えるのは、筆者が外国の文化に親しみがないせいかもしれないが、対男性で「敬意もって接してほしい」と思うことはあっても、「“女性”だから、“男性”に守られ大切に扱われるべき」とは思わない。それこそ特権的に感じてしまう。現在の日本に蔓延る、男女不平等をはじめとした多くの問題は、男性も含めて人間そのものが「守られ大切に扱われる」存在と認識されていないことに起因しているのではないだろうか。
 今回の記事を発端として、ネット上では「フェミニズム」と「レディーファースト」が混同され、フェミニズムは“女性は弱いから強い男性が守るべき”という主張をしていると誤解する向きもあるが、フェミニズムが訴えているのは女性の不利益解消だろう。男性を蹴落としたいのでもなければ、男性に“強さ”を強いて女性を守れと訴えているわけでもない。まして性別で役割をカテゴライズすること自体、フェミニズムとは対極的なものではないだろうか。
 <男の方が肉体的に強い(女は男が守るべきもの)って自覚>は、ともすれば、「だから女は男よりも格下」「女には仕事を任せられない」「女に重要な判断をさせない」といった男女不平等の家父長制へ、あっさり転がりかねないという危惧もある。もちろん相手への“敬意”があればそんな女性蔑視に陥らないだろうが、すでに医大受験問題などでも露呈しているように男女の機会が不均衡な日本社会に「レディーファースト」の概念を持ち込んだところで、どうなるかは目に見えている。
 その医大受験問題では、「女医が増えれば、馬車馬のように働ける人材が減ることになり、現場が回らない」という現場の声が多く取り上げられた。ということはすなわち、「女性は馬車馬のようにこきつかえないが、男性はその限りではない」と見なされているということだ。これは労働問題だろう。根本的には、男性を馬車馬のようにこきつかわずとも成り立つ現場に改善する必要があるのだ。「女性には配慮が必要だが、男性はボロボロになるほど酷使しても構わない」という社会的なコンセンサスが異常なのである。
 弱い男性もいれば、強い女性もいる。子供や老人にも人権はあり、虐待や迫害されてはならない。そうしたことが当たり前であってほしいだけだ。だからたとえば電車内のシーンで、「男性が女性に席を譲る」にはやはり違和感がある。「立ち続けることがしんどい人が座れるように、心身健康な自分は席を譲る」という意識が広まればいいのではないか。
 男性に「男性だから」と強さや逞しさや甲斐性や長時間労働を当然のように求めるのではなく、女性に「女性だから」と弱さや従順さや低賃金や家事育児を押し付けるのでもなく。弱い立場で困っている人、困難な状況にいる人が、不自由を感じずに生活できるようサポートし、助け合うこと。そんなふうに共生していきたい。


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