ギリシャ神話に出て来る、ミノタウロス(ミーノータウロス)は雄牛の頭に人間の体をもつ怪物で、クレタ王ミーノースの后、パーシパエーが産んだ子である。
ミーノース王が海の神ポセイドンとの約束を破ったため、怒ったポセイドンは懲らしめとして、パーシパエーが雄牛に恋するよう、呪いをかけた。
パーシパエーが雄牛と契りを結んだ結果生まれたミノタウロスは、獰猛で手に負えない牛頭人身の怪物で、人間を食糧とした。最終的に、ミーノース王は名工ダイダロスに迷宮(ラビリンス)を作らせて、そこにミノタウロスを閉じ込めた。
この怪物の創造神話のどこまでが真実なのか、検証してみよう。
ミノタウロス神話の裏話
ミノタウロス神話の概要は冒頭にざっと書いたが、他にもう少し注目すべき点がある。
ミーノースがクレタの王になる前、彼はゼウスとエウローペーの3人の息子のひとりだったが、ゼウス自身、エウローペーを誘惑するために雄牛の姿になったことがある。のちにエウローペーの夫になったクレタ王アステリオスは、ミーノースの実の父親ではないが、ほかの息子たちも含めた3人の義理の父になった。
アステリオスが死んだとき、実子がいなかったので、3人兄弟は誰が王座にふさわしいのか、証明しなくてはならなくなった。このとき、ミーノースは自分には神の力があり、王位に就く権限があると主張した。
海の神ポセイドンは、ミーノースが雄牛が欲しがっていることを聞きつけ、この雄牛を後で生贄として捧げることを条件に、この要求に応じた。
そして、ミーノースはほかの兄弟たちを追放して、クレタの王の地位を獲得した。ところが、ミーノースはポセイドンとの約束を守らなかった。
違う雄牛を生贄にしようとしたが、それがばれてポセイドンの怒りをかった。そこで、ポセイドンは、ミーノースの妃パーシパエーが雄牛に欲情するよう仕向けた。
欲望を抑え切れなくなったパーシパエーは、木製の雄牛を作らせて、自分がその中に入り込み、雄牛と契って牛頭人身の怪物を産んだ。
パーシパエーは、義父のアステリオスにちなんだ名前をつけようとしたが、結局、ミーノースの名にちなんだMinosと、クレタの言葉でで雄牛を表わすtaurを合わせて、ミノタウロスになった。
怪物を閉じ込める迷宮
ミノタウロスは成長したが、人間に対して非常に暴力的になり、ミーノース王は頭を抱えた。この問題を解決するために、ミーノースは伝説の名工ダイダロスに迷宮を作らせ、ミノタウロスをそこに閉じこめ、ラビリンスと名づけた。
この迷宮は、一度入り込んだら最後、罠にかかったように、生涯出られないような作りになっていた。廊下や部屋が入り組んで作られ、建築したダイダロスですら、完成後、抜け出すのに苦労したという。
ミノタウロスは迷宮でしばらく生かされていた
ミノタウロスは、この迷宮の中で、どうやって生きていたのだろうか?
ミーノース王の治世の間、息子のひとりアンドロゲオスがアテネの市民に殺された。これに乗じて、ミーノース王はアテネに宣戦布告し、勝利をおさめた。
ミーノースはギリシャに対して、ミノタウロスへの生贄として9年ごとに、男7人、女7人を差し出すことを賠償の条件とした。ミノタウロスの食糧を確保する残酷な方法だった。
ミノタウロス退治
皮肉なことに、ミノタウロスの息の根を止めたのは、ポセイドンの息子テーセウスだった。さらにおもしろいのは、このミノタウロス退治のために、テーセウスは敵である、ミーノースの娘アリアドネの助けをかりたことだ。テーセウスはミーノース王に向かって、ミノタウロスを退治するつもりだと宣言したが、ラビリンスを脱出できるかどうか疑わしかった。
そこで、テーセウスに恋していたアリアドネが一計を案じ、長い糸の端をテーセウスに持たせ、複雑な迷宮の奥深くに入り込んでも、糸を手繰って出口へ戻れるようにした。
テーセウスはなんとかミノタウロスを仕留め、これ以上アテネの民が犠牲にならないようにした。この話には、もっとたくさんの含みがある。
The Minotaur Explained - Greek Mythology
ミノタウロスをどこまで信じられる?
他の神話や伝説などもそうだが、どんなに長いこと語り継がれてきた物語も、その正当性を疑ってみるべきだろう。ミノタウロス神話も例外ではない。
クレタ島とミノタウロスの間で展開したすべての出来事が、どのように起こったかを、正確に特定するのは難しいが、話全体の流れは変わらない。
・ふたりの人間が恋に落ち、続いて権力を切望した。
・望みを達成するために彼らは神の助けを求めた。
・神にそむいた結果、それがミノタウロスを産み出すことにつながった。
だが、この話全体をとりまくすべてを信じられるだろうか?そうは言い難い。
テーマ別にもっとじっくり見てみよう
伝説そのものには、ある程度の真実味がある一方、これまでの話の記述のほとんどは、包括的に一致するようにしている可能性があるため、怪物の創造とその死につながる細部はそれぞれ違うというところに問題がある。
ほとんどのギリシャ神話と同様、たくさんの人間が登場し、とくに神々が関わってくることを考えると、長い年月の間にこれまで語られてきた事実が薄められていくのはかなりありえる話だ。
人から人へと話が伝えられていくうちに、伝言ゲーム状態になって、細かい部分がどんどん変化して、曖昧になっていく。
その効果は薄れてしまっているが、この話のもっとも大きなテーマは、神々と人間の関係性だ。たいていは、神々は人間の問題には口出ししない。結局は、彼らは神だからだが、ここでは、人間が神の助けを乞い、願いをかなえてもらおうとしているのがわかる。
神が存在するならば、半獣半人の怪物を作り出す力を持っているのもよくわかるが、それでも、またべつの疑問が出てくる。神はこれをどうするのだろうか?と。
さらに、神にこうした怪物を作り出す力があるのなら、なぜ、人間そのものを変身させないのだろうか?と。
最終的には、この話は愛、創造、死、欺きを表わしていることがわかる。
これらはすべて、人間ベースの特徴で、権力をもった人間の過ちについての語られた興味深い話なのだ。
権力を切望したのはミーノースで、彼にとって権力はこの世でなによりも大切なものだった。ミーノースがポセイドンを裏切った動機は、例えば権力といったものだとわかるが、神を欺すのは愚かなことに思える。
自分の利益のために全能の神を欺きたいと思うだろうか?
神話をどう解釈するか?
ここには証拠があるにもかかわらず、ギリシャをベースにしたどんな神話に対しても、こうだという決定的な意見を固めるのは難しい。おびただしい数の神、話、詩人のせいで、あまりにも情報量が多く、なにが真実なのか、なにが完全な神話なのかを、理解するのが難しくなっている。
神話に出てくる神々は果たして神なのだろうか?野心を持つ神の姿は人間くさい特徴のように思われる。人間が作る神話の解釈は人間がおのおの持っているのかもしれない。
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