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誰もが子供の頃プレイしたことがあるであろうドッジボール。様々なローカルルールはあるものの、敵チームの身体にボールを当ててその勝敗を競う。
ドジでのろまタイプの人は真っ先に狙われがちで(私がそうだった)、運動能力の高い人に思いっきりボールをぶつけられるわけだが、現在このスポーツに批判の声が上がっているという。
カナダの研究によると、ドッジボールは子供に特定の条件下なら「他人を攻撃しても良い」という認識を植え込み、 非人道的にしてしまうというのだ。
ドッジボールが子供たちを非人道化させる
カナダ・ブリティッシュコロンビア大学の教育学博士、ジョイ・バトラー率いる研究チームは、体育の授業でドッジボールをプレイしたことのある中学生を対象に調査を行った。
その調査結果を、政治哲学者のアイリス・マリオン・ヤング氏が提唱する、相互行為の構造上の5つの抑圧プロセスに照らし合わせて分析してみた。
抑圧は自我の基本的な防衛機制をいう。容認しがたい観念や記憶を意識から追出し、無意識領域のなかに閉じ込めようとするものだ。
5つの抑圧プロセスは、「搾取(人を利用する)」、「周縁化(人の地位を奪う)」、「無力化(人の自立性を奪う)」、「文化帝国主義(支配体制を築く)」、「暴力(攻撃)」である。
ドッジボールをプレイした後のヒアリング調査から、子供たちの行為はこの5つの抑圧プロセスとかなりの部分で一致していたという。
プレイ中、力の弱い女子たちは怯えて逃げ回る。逃げ遅れた生徒にパワフルなボールをあてる生徒。力の強い生徒はグループを組み、特定の生徒を集中して狙っていた。そしてグループ以外の生徒を次々と排除していった。
ドッジボールは教師に容認されたいじめ
ジョイ・バトラー教授はワシントンポストの取材に対してこう応えている。例えそれがやわらかくて痛くないボールを使おうと、他の生徒をボールで叩いても良いという条件を教師が容認してしまうと、生徒の心には何かしらの思惑が芽生えてしまうのです。
考えてみてください。教師が生徒に集団で攻撃しても良いという許可を出すのです。ここから生徒はどんな事を学ぶでしょうか?
人によってはドッジボールが攻撃性とカタルシスを促すという人もいます。
本来は攻撃性や怒りをコントロールすることを覚えさせるための体育という授業が、ドッジボールでは真逆の事を教えているのです。
運動が得意な子供にとってはドッジボールはエネルギーを発散させる為のよい機会となりうるかもしれない。
だが、そうでない子どもにとっては我慢を強いられているだけであり、運動が苦手な生徒にとっては拷問のような苦痛を味わうことになるかもしれない。それが教師公認の元に行われているのだ。
バトラー教授らは、すぐさまドッジボールを禁止せよと言っているわけではないが、ドッジボールに負の一面があることをわきまえたうえで、全員を強制参加させることなく、ルールを改正したり、別の選択肢を与えるなどの必要性はあるだろうと語っている。
References:Dodgeball Is ‘Dehumanising’ And Should Be Dropped From School, Says Professor/ written by riki7119 / edited by parumo
運動が苦手だった私にとって小学校時代のドッジボールは苦痛でしかなかったな。絶対狙われてあてられるのわかってたからなー。
ドッジボールの授業だとわかると、前もって運動神経のいい男子に「逆らわないのでやさしく当ててください、お願いします」とか頼んでたっけ。でもそれもいい経験で、運動以外のことでがんばろうっていう気にはなったかな。
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